PEARL HARBOUR パールハーバー

戦闘機はハワイ・シンガポール・ダボア・WAKE・グアム・ルソン・上海湾にある基地を同時に攻撃しました。その日のその時刻、明けの明星が昇るころ。それはまさにアジアの人々がながらくブッダの悟りを祝ってきた日であり、時刻でありました。


そしてそれから70年経った今、15代目茶の宗匠はUSSアリゾナの記念式典で献茶を捧げました。この茶を捧げる式の目的は多くの亡くなったアメリカ人を追悼するのと和解したいとの彼の思いが込められています。聖徳庵でも私たちは世界の平和を祈り四方へ捧げる一碗のお茶を一緒にしました。この捧げられたお茶碗はSHIBATA KANNJIROU先生から頂いたもので、名前は光の恩恵です。ハワイで作られうっすらとした青みをおびとても真っ黒なお茶碗です。そして暗い空に光をさすようなシルバー色に修繕された茶碗に感銘を受けた。床の間の掛け軸は「一碗乾坤潤」の5つの漢字です。一碗のお茶は天と地の間にある全てのものを甦らせる大きな力を持っています。


私が裏千家で鵬雲斎大宗匠と一緒に学べたことは幸運でした。私はこのことを人々に大きな感謝と誇りに思っていることを伝えたいです。そして一碗の思想や一杯のお茶を捧げることの大切さを人々に
伝えていくこともまた私にとっては大きな喜びです。


偉大な大宗匠の教えの一部をこのサイトの下の部分に記しています。どうかご覧ください。

Karen Blixen Museum ブレグスンミュージアム、デンマーク


"KOSMOS"はこのたびアフリカに行きます。いえいえじつは「アウト・オブ・アフリカ(邦題:愛と哀しみの果て)」に行くのです。決して壮大荘厳な場所ではなく、素朴で瞑想的な場所、物語の作者の郷里へと。『わたしはアフリカに農場を持っていた』というのが小説の書き出しでした。コペンハーゲンのすぐ北にある、建ってから300年経つ、宿屋兼農場、Karen Blixen(カーアン・ブレグスン)の家で書かれたのです。


自然の美と人間の美に囲まれた土地。いまは小鳥たちのサンクチュアリ。木々にあふれ、花園があり、そしてミュージアムが建っている。彼女が南に向いて座りアフリカを思い出していたとき、彼女が目にしていたであろうドアから、われわれは「平和のための一碗の茶」を捧げるつもりです。


よければ9月3日(土)10:00AMにご参加ください。この素晴らしく美しい場所で、美しさとお茶をたのしみたいと思います。

「お金を稼いでマシンガンを手に入れるなんて、実益もないし不経済だわ」と彼女は言った。

「アウト・オブ・アフリカ」の著者はIsak Dinesan(イサク・ディーネセン、Karen Blixenのペンネーム(男性名))。映画はシドニー・ポラックが監督し、メリル・ストリープとロバート・レッドフォードが主演、第58回アカデミー賞作品賞と第43回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞しました。

愛と哀しみの果て - Wikipedia
カレン・ブリクセン -Wikipedia

Dachau ダッハウ、ドイツ

Dachau(ダッハウ)に関しては、私から語るべきことはそれ程多くはない。全ては既に語り尽くされているからだ。事実は全てインターネット上にあるし、私たちは既に全てを知っている。学びきっているとさえ言える。心に焼き付いているからだ。願くば、DNAにまで。「人類の歴史に一つの黒き染みを残した」ことは、この土地を人類の悲劇の極みとした。とても信じられない事だが、1960年代、私はDachauからたった2時間の所にあるBlaubeuren(ブラウボイレン)に住んでいながら、Dachauに関する事など知らなかったから、訪れることもなかった。強制収容所、という物が初めて現れたのはDachauであり、それを皮切りとして、たくさんの強制収容所が建てられたのだから、Dachauは私たちにとって重要な意味を持つ。Dachau強制収容所の設計者であり最初の所長であるその人がその後、たくさんの国に建設される全強制収容所の総監となった。Dachauは他の強制収容所の手本となった。しかもそれは完璧に成功し、完璧に機能した。それは、違う国、違う人種、違う政治、宗教、社会、経済、性の考え方からは"好まれないもの"だった。おそらく、「違う」貴方からも、「好まれない」私からも。貴方に尋ねたい。全部でいくつの強制収容所があったのか?100?200?400?750?1000?1500?いくつの国にあったのか?おそらく貴方の国にも?



私の国にも?そう、あった。Lemon Creek Japanese Concentration Camp(レモン クリーク日系人強制収容所)は私が育った家からたった10分の所にあった。黒いインクの最初の一滴は地図上のDachauにまず落ちた。そこから、たくさんの、本当にたくさんの強制収容所が繁殖していった。



今年の8月に"KOSMOS"(コスモス)はDachauへ行く。大きな悲しみと共に、平和へと導く心で、ただただ「平和の一碗を四方に」捧げようと思う。貴方にも是非参加して欲しい。どこでだって構わない。心の中でも、台所でも、庭でも、修行の最中でも。共に献じて欲しい。もしくは、8月28日 日曜の朝10時にDachau強制収容所の"Arbeit macht Frei"(働けば自由になる)と記された門の前で、私たちと一緒に献じて欲しい。



最後に、遠い昔の短い話を一つ紹介したい。ドイツのある野外集会場で、他の国からやってきた男性が、私がなぜそれ程までに熱心にドイツ語を話し、近代史の勉強をしているのかと尋ねてきた。私の答えを聞いてこう言った。私の答えが愚かだったのだろう。「君は要注意人物だな。たくさんの人がこれらの強制収容所で囚人に対してむごいことをした。それはナチスドイツの人間に限ったことではない。」ナチス領主のご機嫌をとって、彼の知り合いたちが多めの食糧やより良い住環境を享受していたことを彼は教えてくれた。新たに入って来た囚人たちを拷問し、死に追い込むための新たな設計をすることで、強制収容所の職員を接待する機会を得ることが出来たのだ。彼の地元の人のほとんどがとてもそんな事は出来なかったが、少しの人達は、出来た。彼らのユニークな拷問の一例はこうだ。大きな木の周りにガラスの破片を撒き散らす。そして囚人達に木の周りを走るよう強いる。だから、囚人達は走って、走って、走り続ける。バタリと倒れ込む。それでも、手でも、膝でも、腹部でも、何でもいいから動かせる限り動き続けろと強いられる。これ以上動けなくるなるまでずっと。出血多量で死ぬまでずっと。「だから気をつけろ」とその男性は私に言った。「俺は全部見てきたんだ。地元の奴らがそういうことやってたのも見てたし、ビールとかソーセージとか良いベッドとか貰ってたのも見てた。だから気をつけろ。お前だってそういうこと、やりかねないんだ。」このように私は聞いた。そして、それは真実だ。私だって、やりかねない。ここが彼の話の怖いところ。私だって、やりかねないのだ。

Bunraku 文楽

ダンスや演じることは世界中の宝の中の一つです。
それらの一つに日本文楽があります。時々日本文楽は世界中の様々な土地で
上演されることがあります。
大学ではいくつかの文楽グループが存在している。
Youtubeでも見ることができます。
しかしもちろん一番いいのは大阪の国立文楽劇場や淡路文楽劇場・乙女文楽など 発祥の地で楽しむのがいいでしょう。

乙女文楽グループはとても特別なグループです。
なぜなら伝統的には男の世界ですが乙女文楽は女性だけのグループだからです。
先生は現在93歳の女性です。
彼女達の演技は素晴らしく従来の人形劇には依存していません。




彼女達はどこでも上演することができ、ここ聖徳庵でも近所の方、子供たち
お茶の生徒さん達を喜ばせました。
マジックについて語ることはとても難しくだからさらに
人のように動く人形について語ることは難しいです。
シルクで覆われた木の人形を持った二人の女性の手の中に自然的に
お茶が捧げられた。
女役の人形は初客になり、男役の人形は最後のお客さんだった。
彼ら(人形達)は非常に気品、優雅さを持ってとてもかわいらしく
座りながら一杯の濃い茶を練る若い女の子を見ていました。
亭主であるユイさんとお客様である人形のお染さんとお染さんの彼氏である久松さんは
ほとんど同じサイズでとても美しかった。




一杯のお茶を準備する喜びを説明することはとても難しいことです。
光と影の雰囲気を出したり多くのするべきことがあります。
型の裏に隠されている意味、亭主と客の共有された暗号など
彼女たちの手の中に一杯のお茶を受け取るのを見る喜びを
説明すること
実際どこからともなく聞こえてくる声や微細な肩の動き、
まゆのわずかな上がり具合、頭のうなずきを使って喜びを表現していた。
これこそマジックだ!!




一番年長のお客様は93歳の中川先生。
一番若いお客様はまだ生まれていないゆらちゃんだった。
床の間の掛け軸はSakyong Mipham Rinpocheによって書かれた
言葉 ”Now"です

聖徳庵での人間の美である文楽上演の主題は「世界の平和を祈り一椀の茶を四方へ捧げる」こと。
その機会はちょうど炉開きだった。

Ryoan-ji  竜安寺

"No.15"



No.15はあなたにとって何か特別な意味がありますか?聖徳庵の近くにある石庭、そこは白砂を敷き詰めた庭に15個の石そして少量の苔それら全てが土塀に囲まれた、有名なとても美しい石庭。ただ座り・・・立ち去りがたい場所・・・何か意味を探しながら?あるいは、ただ座るだけ。分析しながら? 又はただ座るだけ。呼吸を数えながら? 又はただ座るだけ。石を数えながら?・・・ただ座るだけ。石の配置を見ながら?石と石の空間を見ながら?そして、あなたの心の中を感じながら・・・



さぁ、15個の石を見て下さい。どこから眺めても全ての石を見ることは出来ないだろう。別の場所、別の角度からも試してみてください。しかし決して石全てを見る事は出来ないだろう。ただ静かに座り熟視すると何かを発見出来るかもしれない。それはまるで平和なドラゴンの様になって・・・



「心では何も見えないが何度も何度も探してしまう。心では何も見ることが出来ないが鮮明に何かを感じとっているだろう。疑う気持ちを無くし混乱から解放されれば私達が本来持ち備わっているピュアな心を認識する事が出来るだろう」(CTRはこの様に述べた)



"No.15"は新月から満月までの日数でもある。「新月の意味は?」「満月の意味は?」もし私たちがこの思考で14個の石だけを見ることが出来たならそれらの石は答えを教えてくれるだろうか?もし14が完全でない場合、15は完全かつ完璧ですか?そのポイントこそが私たちがあるべき姿でしょう。



この禅寺の茶室の近くにある蹲(つくばい)は一つの優れた作品だ。上面に刻まれた4つの漢字、禅問答(考案)「なぜ学ぶのか?」「なぜ修行するのか?」この種の質問は禅の歴史を通して多くの異なった形で出てきます。この場合、ある禅師が答えています「吾唯足知 -ワレ-タダ-タル-ヲ-シル- 私は満足を学ぶ為に勉強するのです、ものごとのあるがままを受け入れ満足すること、欲望を放しシンプルに平常心を保つそれ以上何も望まない」庭にある15個の石を見て実際に見えるのは14個の石。石だけを見ずに石と石の空間を楽しんでみて。 ここに鈴木老師から頂いた軸がある。 "STONES IN THE AIR"(空に浮く石)たぶん彼もまたいつかここでただ座りこの広大な白砂の大海に浮かぶ15個の石を目にしとても大切な何かを発見したのかもしれない。


John Cageが作成した「Ryoan-ji, The Peaceful Dragon」をお楽しみ下さい!

Paxmal パックスマル、スイス

かの高きアルプスを頭上に抱き


ターコイズブルーのWalensee(ヴァレン湖)を足下に従え


Paxmal(パックスマル)は静かにたたずむ。ひとりの男のライフワークの結晶として。


Karl Bickel(カール・ビッケル)は25年の歳月と私財を投じ、彼の見出したpeace(平和/平穏)を表現しようとした。ご存知のとおり当時は世界中がpeaceとは真逆に突き進んでいる時代だった。1924年から1945年にかけKarl Bickel が自分で設計し建設し、この平和のモニュメント、この調和の聖堂ができあがった。じつはここは儀式のためにあるのではない。礼拝のためでもなければ、駆け込み寺というわけでもない。では何のための場所なのか。ここは人々が集い、静かに座り、自らを省み、自分たちの人生をじっくりと考え直すための場所なのだ。いったいわたしはどんな成長のステージを体験してここまでやってきたのか。私生活においてどんなステージを経てきたのか、ということをじっくり見つめ直すための場所なのだ。Karl Bickel は人間にとってもっとも重要なこの問いかけに対する回答を、結核の療養中に考え抜いたようである。ちなみに彼はここの高地で、当時は死んで当たり前と思われていた結核から回復したのであった。考えに考えを重ね、彼は直観的な理解に至ったように見える。つまり私たちひとりひとりが旅の途中にいるということ。その旅路は個人的な欲望からはじまり、行き着く先は完全/完璧な人間の精神の解放である、という理解に。


上掲の写真に書かれている言葉を日本語にすると、人生のサイクル、男、女、恋人、抱擁、新しい人生という概念、新しい赤ちゃん、となる。彼の作品のひとつのテーマは「自分自身のために求める、よくある欲望、普通の幸せ」である。一方で、彼の作品のもうひとつのテーマは全く違ったものであり「人間精神が立ち上がろうとする瞬間の情熱。戦争を選ばない社会を創り上げる情熱。人間の精神が目覚めようとする情熱」とでも言えば良いだろうか。ここPaxmalでは、右側の壁に人間の尊厳が立ち上がろうとする姿が集められている。


この写真を見て、少しのあいだご自身がベンチに座っていると想像してみてほしい。左の壁にある数々の作品に目をやると、そこには個人的な愛や家族について描かれているのが見える。人生はまさにその通りだなと思う。わたし自身いろいろ思い返してみると、照れ臭いものでもあり、また厄介なときだってあった。



次に右の壁にある作品に目をやると、人間の精神に目覚めている人生、クリエイティブかつ思いやりあふれる社会の一員になろうとしている人生が描かれているのが眼に入ってくる。


ここに座っていると嫌でも目にすることになるのだ。つまり自我と自分の幸せにとらわれがんじがらめになっている人生と、人々の幸せを想うクリエイティブでオープンでボーダレスな人生が、あまりにも違うということを。ここに座り、右と左の壁を眺めていると、まるで選択肢の間に座っているような気になってくる。じつはその選択肢はずっと私たちのすぐそばにあり続けたのだ。くり返しくり返し同じ体験をし続けるのか。それとも人間的/精神的成長を遂げる世界に入るのか。あるいはそれは選択肢でさえないのか。単にわたしたち全員が体験するプロセスにすぎないのか。あなたもわたしも今日もまた旅路を一歩一歩進んでいるということだろうか。Karl Bickel はスイスの郵政局の切手デザイナーであった。その後でこの聖堂のデザイナーになった。


彼がデザインした切手の大きさと、彼が設計した神殿の大きさはまるで違う。彼は楽観主義者であった:歴史上もっとも悲惨な時代においてさえも。彼は人々に全幅の信頼を置いていた:自らを省み、そして攻撃的に領土を奪い合うことをやめるであろうと。彼は選んだ:静かな思索の地を(あるいは、ここの土地が彼を選んだのかもしれない!)。この偉大なる自然の美しさに包まれた土地で、Karl Bickel はわれわれ全員にとって重要なことを見出し、人生と私財を捧げ、全人類に向かって見出したものを伝えようとしたのだ。Evi(エヴィ)とUeli(ウーリ)、ヒロミ、わたしの4人で「平和の一碗の茶を四方に」捧げた。深い感謝の気持ちに包まれながら。Bickel についてわたしが知っているのはこれだけだ。あなたはもっと他にも知っているのかもしれない。


いずれにせよ、ここは「平和の一碗」を捧げるのに完璧な場所である。

スイス、それは……


『雌牛はみんな幸せな』ところ。

この8月、もう一度Paxmalに行くつもりにしている。よろしければご一緒にいかが?

RETURNING HOME 生まれ故郷

"KOSMOS" (コスモス=宇宙)茶碗の生まれ故郷、スイスの陶芸工房に戻ろう。


ここWinterthur(ヴィンタートゥアー)の美しい工房で、陶芸家Evi Kienast
(エヴィ・キーナスト)の手によって"KOSMOS"茶碗は創られた。


そして……ここはわたしの兄が1920年代、新任教師として赴任した学校からそれほど離れていない。


それはまだE=mc2(特殊相対性理論の帰結とした関係式)が発表される前のことであり、世界中にファシストの恐怖が蔓延する前のことだった。


原子力の研究が進む前であり、忌まわしい爆弾の落ちる前であった。わたしの生まれる前であり、Bob Dylan(ボブ・ディラン)の前であった。おそらくこれを読んでいる皆さんの生まれる前でもあろう。


16世紀後半の京都で千利休と長次郎が作った最初の茶碗にインスピレーションを得て、Eviが21世紀のために創った最初の茶碗が"KOSMOS"であり、2000年と2001年のEviの展覧会のメインは "KOSMOS"茶碗であった。


この茶碗をくり返しくり返し磨き、くり返しくり返し覗き込み、Eviは掌のなかに "KOSMOS"(古代ギリシャのピュタゴラスの言う『調和がとれ秩序ある宇宙』)を垣間見た。しかし彼女は言った。「これは売り物じゃないの。これはJackと広美のために作ったのよ」。

"KOSMOS"茶碗はわたしたちへの結婚のプレゼントになり、スイスのRasa(ラサ)のTerra Vecchio(テラ・ヴェッキオ=古い村という意味)の教会ではじめて「一碗の茶を四方に捧げる」献茶をおこない、広美のために一碗の茶を点てた。あれから何年もが経ち、彼女が焼かれたまさにその場所に戻ってきた。

Bruhlberg(ブリューベグ)はWinterthurにある7つの山のひとつで、炎にまつわる歴史がある。

Bruhlは悲鳴や泣き声を意味し、Bergは山を意味する。山がBruhlbergと名付けられることになったのは中世のころにさかのぼる。この辺りに住む地元民が、近隣に住むユダヤ人を集め、高いところに登らせ、火を放った。山は炎に包まれ、若者の悲鳴、年寄りの泣き声が聞こえ続けた。

いったい、悲鳴が止んだあとには何が聴こえたのだろうか。炎がおさまったあとには何を。彼らが心の声に耳を傾けたとすれば、何が聴こえてきたのだろうか。

おそらくわたしたちは、そんな時代―つまり人々が残酷で自分とは違う人々に敬意を払わない時代―から長い道のりを歩み、変化を遂げたのかもしれない。あるいは、その頃から大して変わっていないのかもしれない。でももちろんわたしたちは、自分自身のネガティブな因業をプラスに転じることができるし、世界のあちこちにあるネガティブな因業をプラスに転じることだってできる。


今日もまさにその歴史を持つ山で、Eviも炎を操っている。しかし創りだされるのは茶碗で、茶室で使われる。


あるいはキッチンで。リビングで。お稽古の場で。機会があればぜひEviの茶碗を手にしてほしい。わたしたちの中にある、すべてにつながる本当のハートで満たされている世界を想い出せることだろう。


茶道のお稽古ではこれを「和敬清寂」という。あるいはシンプルに「お茶は人をハッピーにする」という。


機会があればぜひスイスで今秋開催するイベントに合流願いたい。 "Sounds of Peace into the Four Directions"「サウンズ・オブ・ピースを四方に捧げる」コンサートに"KOSMOS"茶碗も行く。コンサートは9月6日に、このWeltheim(ヴェルトハイム)の小さな教会で開催される。Eviの工房からも、私の兄の赴任した学校からもさほど離れていないところだ。

Eviについて、Tee-Art seminar(テーアートセミナー)について、"Sounds of Peace into the Four Directions" コンサートについては、raku artを、そしてGallery Werkstatt-Laden(ヴェルクシュタットラーデンの画廊)についてはwerkstatt-ladenをクリックしてご覧ください。