NOTRE DAME ノートルダム大聖堂

近年NOTRE DAME(ノートルダム大聖堂)は戦争の焼け跡や工業汚染からまるで赤ちゃんのように磨かれきれいにされました。

そして今私達の目の前に800年前と同じような輝きを持って存在しています。

300年以上もの間パリの人々がNOTRE DAMEを眺めた時に感じる喜びを想像してみて下さい。


家具職人、石職人、測量者、デザイナー、車大工、金・銀・黒・銅細工師
労働者、料理人、守衛、トラックの運転手。
男性・女性、子供、馬や牛達。


一体どれだけ多くの世代がこの人間の美、神聖な美であるNOTRE DAMEに命を捧げてきたのであろうか!

彼女(大聖堂)は疑いのない程美しい。
小説の主人公のように栄光のある唯一の建築物に思われる。
私は去年の冬の寒い昼夜を問わず読むことを楽しんだであろう。
そして私はディズニーのアニメーションかそれについて多くの人々が名前しか知らないのだろうかと思った。
それには素敵なストーリーがあり、
疑う余地がない程に美しいものなのに!


外側から、内側から、東西南北から、
雨の中でも、ベンチに座りながら、
フロアに横になりながら
繊細で優雅なゴシック調のステンドグラスを見上げることができる。


反響音、音楽、祈り、ドアの開閉などの音を聞きなさい
神聖な場所に近づくには足音に気をつけましょう
またカメラの撮影音にも注意がいるでしょう


しかし特に光と影のゆらめきは壁の上を踊っているようだ。
想像してみて下さい。
何百年以上もの間フランスとヨーロッパを行ったりきたりしている巡礼者達は道中に靴やブーツを脱ぎ捨てている。
使い古したワゴン、荷馬車、われたボトル、挫折した心が一体どれほどあるであろう。
彼らはただNOTRE DAMEの荘厳さを彼ら自身で見たかったのだ!


そしてこれらは全て死の保証の兆しの前であった。
昔の聖職者はこの世界で安全に子供を授かりたい多くの女性達やタンポポなど人々の苦しみを開放する他の植物の育て方を知っている人々、基本的によい世界を直視しようとする人々に対して火を灯し光の方へ導いていた。
そこには一体どれだけ多くの違った理由があるであろう。
一体どれだけ多くの女性たちがロウソクに火を灯したのであろう。
ヨーロッパではおそらく5百万人ぐらいいると思う。
例えばJean D'Arc(ジャンヌダルク)。
それ程昔の話しではない。
また
Victor Hugo(ヴィクトル・ユゴー)の話しを見てみよう
Quosimodo(カジモド)はベルタワーから降りて
Esmeralda(エスメラルダ)を絞首刑執行人から救い出してノートルダム大聖堂の中の安全な場所に連れだした。
そして群衆のブーイングは長く約束されていた荘厳さを奪ったのである。


しかし私にとってNOTRE DAMEに訪れた本当の理由は世界に平和の茶を捧げたいからである。
ゆきこ、ゆうこ、まりこ、ゆきな、まきこ、ゆりなど影響を与えた人々と多くの若い人々と出会えたのも京都にあるNOTRE DAME(ノートルダム)大学だ。
私達は共に日本文化について何が美しく造形が深いのかを学ぶことができた。
大学の総長を初客に迎えた、NOTRE DAME大学での茶室開きもまた特別な事だ。
このような出来事は感謝されなけばならないし、壮大な出来事として記念されなければならない。


そしてそれは偉大な事として記された。
Pascalと子供達と一緒にパリに住んているゆうこさんは
NOTRE DAME大学での生徒さんであった。
私達は一緒に四方(東西南北)に向かって平和のお茶を感謝の印として捧げた。


この大聖堂の神聖な美に対して
人類の偉大な苦しみの場所や新鮮さ新しさを取り戻した今、
大聖堂は決して再び人々が人々を殺したり子供たちに向かって銃をつきつけたり爆弾を落としたり唯一のステンドグラスに傷をつけたりするようなレベルの低い人間の行為にさらされることはないだろう。

そして世界中の巡礼者や観光者に対していい影響を与え、全ての残虐な事にNoとだけ伝えるであろう。
全ての闇である暗らさは消え去るであろう。
そしてあなた方はVictor Hugoの パリのNOTRE DAMEやディズニーアニメーションのノートルダムを楽しめるだろう。