ALCALA アルカラ、スペイン

Alcala(アルカラ)はキリスト教ヨーロッパで初めて大学都市として設計された、決して通商、商業、産業、防衛又は宗教を目的とした街ではない。


スペインにおけるムーア人の非常に高いレベルの文化に影響を受け、Alcalaは学術都市のモデルとなり、ヨーロッパの他の地域、さらにはスペイン帝国の植民地―メキシコシティ、テキサス、サンディエゴの大学街―にとってさえモデルであり続けた。



ムーア人がQueen Isabella(イサべラ女王)とKing Fersinando(フェルディナンド王)によってスペインから追放された後の1499年にAlcalaは設立された。それはColumbus(コロンブス)が彼らの援助を受け、西からインドへ向かって航海した時でもある。彼は西へと航行したがインドへはたどり着けなかった。彼が想い描いていたのはただ新しい世界の美しさだけであった。彼はこれらの土地がやがて植民地の争いの場になる事や文化の破滅が起る事など思ってもいなかった。しかしそれと同時にAlcalaは聖徳太子が築いた法隆寺と同様に学習にとって偉大な中心の場となった。それは特に言語の場として、そして素晴らしい子孫達の為に。


Don Quixote and Sacho panza and Cervantes(ドンキホーテとサンチョパンサとセルバンテス)

ここは人間によって創られた美しい場所、Mariko(まりこ)とPaz(パズ)は一碗のお茶を捧げた。"Jardines de la paz(平和の庭)"はAlcalaの古い町のなかにある、まりこさんは言っている・・・「ここは12~15世紀までムーア人、ユダヤ人そしてキリスト教徒が一緒に暮らしていた。その後追放が起こってしまったのですけれども。


Pazさんと私は平和への一碗を母なる大地へと、そしてPazと刻まれた石碑に捧げました」


「Jardines de la paz」はまた、コロンブスがイサべラ女王、フェルディナンド王と出会い、彼が想い描いていたインドへの航海の為に彼らに援助を頼んだ場所に非常に近い所でもある。